【人間の考察】Part.1「創作的思考と哲学」(2689文字)

 以前に半ば見切り発車でタグ「哲学」を立ち上げ、衝動的にいくつかの単体日記を書きましたが、読みやすいとは口が裂けても言えないものになっていました。現在、一日一文を終えたことで時間的にも余裕ができたため、改めて書き直し、タグ「哲学」の充実を図ろうと思います。

 この日記では、タグ「哲学」を立ち上げるに至った経緯から目的と注意事項をまとめます。ちなみに「哲学」の名目ですが、自己哲学に近く、学問としての哲学的な内容とは異なります(後に個人的な勉強として綴る可能性はあっても)。

 

1.始まりは登場人物を表現する難題から

 もともと私には性格的に「他人への関心」が高く備わっていたことは間違いありませんが、明確に人間そのものを紐解く契機となった出来事は作品の登場人物について真剣に向き合い始めてからです。他人への興味とは、他人が何を考え、何を思うかを推察したり、言動から心理状態を日頃から考えていたということ。

 私は作品における登場人物の表現に長らく納得できない期間が続いていました。どこか人間味がなく、記号を並べたように見えてしまう。この原因は部分的に表現力の問題に帰結するものの、もっと人間に対する根本的な理解が足りていないからではないかと仮説を立てます。

 そこで、人間の理解を深めるための問いとして「人間とは何か?」について考え始めました。あまりに漠然とした問いでしたが、一日一文の日課を通じて思考を練り、何度も言語化を試み、途中に哲学との出会いもあったおかげで、次第に自分なりの人間観が確立していったという経緯です。付随して、人生や社会、他人、思考、認識など人間を取り巻くものにも自ずと考えがおよび、結果的に登場人物の人物足るものが明解になるだけではなく、普段の人間関係の悩みや自身の得も知れぬ不安も緩和されるに至りました。

 

2.目的は作品に活かすことだが、人間関係に悩む人たちに向けた知見にもなり得るはず

 私たちは日常的に他人と触れ合い、他人との関係性に一喜一憂する場面が非常に多くあります。健全な関係を築ければ、人生そのものは豊かになるでしょうが、そうではない関係に至れば、最悪、死を選ぶほど思い詰めてしまうこともあります。

 私たちは人間であるにも拘わらず、人間についての理解があまりにも足りないことがわかってきました。学校で教わることもほとんどありませんから、他人との触れ合いを通じて実践的に学ぶ他ありません。しかし、実践的な学びは具体的な出来事の一つに過ぎず、体系化されているわけでもなく、他への応用可能性が拓かれているとも言えません。そのため、具体的な出来事を深掘りしたり、抽象化しなければ、本質の片鱗に届かず、生きるためのヒントには届かないのです。

 別の見方から考えてみます。なぜ、他人に興味を持ち、他人の理解が進んでも、登場人物を十分に表現するまでに至らないのか。これは自分の目に映る他人は一部分に過ぎないことと、人間の全体像を創造することが日常的な行為からかけ離れているからです。一部から全体への飛躍、全体理解の欠如。人間は人間であることすらほとんど意識していないため、自分や他人の理解というのも、意識できるごく一部に留まってばかりいて、全体への理解を大きく欠いていることが常なのです。

 自転車に乗っているとき、身体の動きを逐次的に把握している人はいませんよね。このことから人間は「意識」と「無意識」の二つの領域から成り立っていると見ても良い。つまり、絶対的に見えていない領域があります。どれだけ意識的な領域(目に映る他人)を積み重ねても、無意識を開拓するか、意識と無意識を統合する核の理解(間接的に無意識を知る)に迫らなければ、人間の全体像はいつまで経ってもイメージできないと考えました。

 では、私にそうした核の理解、無意識の開拓ができるのか。ここで登場人物を考えることの経験(特異性)が挙げられます。端的に言えば、登場人物を考える行為とは人間の一部から全体を構築しようと試みることと、人間の全体像について日々考え続けることにあります(私の場合)。人間の一部から全体を構築するにも、あまりに突拍子もない人物像では共感を得られませんから、人間とは何か、人間足らしめるもの(全体)を意識し続けなくてはなりません。それら二つを何度も往復する思考作業。

 ただし、そうは言っても“誰にもわからない性質”を無視することはできないため、次の注意事項があります。

 

3.専門的な見地から述べるでもなく、断定する意図はないことを了解していただきたい 

 このタグ「哲学」は、私なりの考えを言語化したものであり、究極的には「何となくそんな気がする」という直観を積み重ねたものに過ぎません。例えば、「なぜ、人間は落ち込むのか?」という問いの答えを科学的に追い詰めるのであれば、脳科学や精神医学の見地から述べた方が納得感は大きいでしょう。

 しかし、実際にはまだ解明されていないもの(できないもの)も多く、科学的な説明が為されたとしても、人間の直観に反したり、日常的に役立てる考え方に結びつかなかったりすることがあります。特に人間の精神や関係性の問題。そこで個人の考えとは言え、論理を構築し、経験則から成る“尤もらしい直観”をも引き出せるに至れば、実際のところの正否は別としても役立てられる可能性に期待する次第です。

 もとより作品に活かすことを第一に考え始めたこともあり、物語(ファンタジー)の一種と捉えてもらった方が読みやすいかもしれませんし、人文科学系の個人的な研究と捉えていただけたら誇らしく思えます。それは半分冗談としても、内容自体は「人間に悩む全ての人」に向けたものであり、理解してもらえたときには人間を簡明に捉えられるようになるはずです。簡明に捉えられるようになれば、応用可能性は広がり、自分自身の具体的な問題解決の糸口として機能します。

 そして、個人的にはタグ「哲学」に整理した考えを軸に、物語を執筆し、物語特有のアプローチによって再び読者の方々に建設的な働きかけができたらと思っています。繰り返しになりますが、登場人物の表現を考え続けた過程で生じた様々な人間の見方をまとめ、日常への応用を試みる内容です。読者の皆様が今よりも深く人間を理解できるようになれたら幸いであり、その延長線上に私自身や作品への興味に繋がったらこの上ない結果と言えます。

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