2018年の自分に決着をつける【自己哲学編】Part.1

 今回は2018年の総括として、タグ「過去を振り返る」にて2018年の日記を整理したいと思います。

 

 2018年は執筆に全く取り組んでいない年でした。11月中旬くらいから生産性の低いブログをやめようと決意して、執筆の技術力向上の「一日一文」を日課として、それ以外の日記も読む側の気持ちに立ってできるだけ楽しめる、あるいは参考になる内容にするため、ブログのレイアウトから全て作り直していました。

 執筆から離れていた中でも日記の更新はしていて、主な内容は日常から見える疑問を深く掘り下げ、自分なりの解に辿り着くことでした。

 それを中心に記していたせいで、あとから見返すとこれ以上ないほど堅苦しく面倒な人間がそこにいました。はい、ここは笑うところです。これが私の性質でもありますし、小説の中でも自己哲学を持とうと模索している過程でもあります。

 

小説の中の自己哲学

 自己哲学を一言で表現すれば、物事の洞察に基づいた表現を心がけたいということです。

 例えば、サイボーグ(機械人間)が「人間ではない自分に悩む」という描写を取り入れる発想は、人間とは何か?という問いを暗に示しています。それを通じて改めてサイボーグを見ると、人間にはなれない、ただの意思を持った機械になぜか憂いを感じます。

 これは人と機械の境界線に人間共通の問いを見出し、物語の奥深さに貢献した例だと考えています。

 

 今でこそ、この発想は新規性が高いとは言えなくなったかもしれませんが、当時の作品で「機械が機械であることに疑問を持つ」なんていう発想は斬新だったように思いますし、そこを発想できたのは作者の見識の深さ(哲学の有無)によるところなのではないかと思います。

 作品をただのエンタメだと捉えることも、こうした新しい価値観や概念を問いかけるかどうかも、良し悪しではなく、二者択一でもありません。

 上手く言葉にすることが難しいのですが、1つのコンテンツとして消費されるだけの作品と、何かずっと自分自身の記憶に残り続けている作品の違いを挙げるとすれば、私の場合、作者のこだわりや譲れない信念を感じ取れた作品なのかなと考えるに至っています。

 

 

 前置きが長くなりましたが、そういった自己哲学に満ちた2018年の日記の整理を始めたいと思います。あえて恥ずかしいとは言いません。

 

1.やらないことを決めるとよく聞く話

「夢を実現したいのなら、やりたいことを決めるのではなく、やらないことを決めることだ」という格言があります。

 この意味は、物事に優先順位を決めて、時間やお金など限りあるリソースを大切にしようというものです。

 

 とは言え、自分にとって何が大切か考えたことがなければ、優先順位を真の意味で決定することはできません。なので、私にとってこの格言は自分自身の価値観を明らかにするために必要なものだと認識しました。

 人の幸せの形は人の数だけあると考えていますが、以前の日記【人生を豊かにする選択肢は減るのか、絞るのか】でも述べているように人生を豊かにする選択肢は、大多数が実践した選択肢から構成されることが多くあります。

 それは言い換えると、幸せだと考えられているものに自分を当てはめることが幸せだと勘違いしている可能性を示唆しています。

 

 新しい選択肢を探索することは骨が折れるから、発想のきっかけを既存のモノに頼ることはよくあることです。しかし、もし仮にそういった大多数の間で語られる幸せが巷に流れていなかったら、何を思うでしょうか?

 自分にとって不必要なものを明らかにする「やらないことを決める」という行為は、非常に奥が深いなと思いました。

 

2.積み重ねた先の未来

 小説執筆以前は、とにかく興味のあることに全力で取り組み、いつ間にか力尽き、飽きるということが私には多くありました。

 小説を執筆し始めた頃も、小説の書き方なんて知らないまま、闇雲に文章を書き連ねることだけに一所懸命で、いつしか疲れ、執筆から離れ、また戻り、全力で取り組んで、離れ……という繰り返しでした。

 それが1つのコンプレックスとして感じたのは大人になってからです。正確に言うなら就職活動の時期ですかね。やっぱり努力を積み重ねてきた人たちは強く、優れている様を目の当たりにし、自分には何もないことを痛感するのです。

 

 痛感しただけで終わってしまった時代も長らく続いたのですが、今ではその考えも変化しています。

 何もない自分と決めつければ、本当に何もない自分で終わってしまうのだけど、曲がりなりにも年齢分の人生を歩んできた中での経験と記憶から、目の前のことにどうやって応用できるか、最大の力に換えられるかというところに重きを置いて考えるようになりました。

 

 小説は文章表現にしても、物語にしても、発想力次第で限界がありません。ここまでやったら終わりというものがないんですよね。

 考えようと思えばいくらでも考えることができるし、それは時に堂々巡りしてしまうこともあるのですが、きちんと道標をつけて前へ進んで行ったら、人生を終える頃には一体どういう考えに到達しているのだろう、と好奇心を駆り立てられます。

 それはお金では絶対に手に入らないものですし、希少性と言う意味ではこれ以上ないでしょう。

 少し大げさかもしれませんが、これは生き方と視点一つで享受できるものなので、誰にとっても唯一無二の価値としてひかり輝く可能性を秘めていると思っています。

 

3.ターゲットと作品の繋がりをつくる

 作品で表現したいことは何か?と考え、具体的なイメージを持っていたとしても、それはいつの間にか消えてしまう恐れもあります。

 そうならないために、作品を読んでもらいたいターゲットを決めておくという話です。

 

 ターゲットを決めるというと、例えば10代が楽しめるような作品という文脈で語られることが多くあります。作品を相手に合わせて変えるということですね。

 この話はそうではなくて、作品の本質を作家自身の中だけに留めておくのは危険かもしれないという話です。

 私自身、作品の本質が揺らいでしまうと悩む以前に、作品の本質を明らかにできていない面もあるのですが、自分の作品はこういう作品だと思っていても、作家が年齢を重ねるか、特別な経験をするか、そういった何らかの変化によって作品に対する見方が変わってしまうことはよくあることだと思います。

 それを回避する手段として、絶対に変わらない客観的な基準から思い出せるようにしておくことも大切なのかなと考えました。

 

 

 

 今回はここで終了です。【2018年自己哲学編Part.2】へ続きます。