2017年の自分に決着をつける【長編小説編】Part.1

 今回は2017年の長編小説の日記を整理しにきました。

 長編の日記は比較的真面目に考えているものも多かったのですが、雑多に書き殴ってあるため、これを機に2つの日記にまとめようと思います。

【2017年短編小説編】でも触れているように、私の日記は試行(思考)錯誤の軌跡になります。まだまだ明確な考え方になっていないものが多いので、読む側からすれば楽しめるものとは言い難い。そもそも小説に断言できるものがあるのかどうかと考えると、仕方のないことかもしれませんが。

 2017年に限らず、2018年も、今後の2019年も、雑多な考えで日記を浸食されることがあるかもしれませんが、こうして最終的にまとめれば次に繋がる建設的な考えを抽出できることがわかりました。これらがいずれ小説の書き方へと昇華されていくという思考の循環を実感するところです。

 

 そして、本題に入る前に少し昔話があります。

 

 2017年は、私の中で「ネット」という存在を初めて大きく認識し、自分自身の無力さを思い知った年でした。

 それまでもネットは身近な存在だったと思うのですが、それは利用する側として身を置いているに過ぎず、利用される(認識される)側として見たときに、今の自分に求心力は何もないことを痛感させられたのです。アマチュアだからという一種の免罪符に甘えていた自分を知ったわけです。

 出版社投稿は、入賞という結果と共に出版化し、全国の書店に並ぶケースがほとんどのため、どんなに無名な作家であってもある程度認知してもらうことができます。入賞するまでは誰もが無名な作家で、求心力なんてないのが当然という環境で肩を並べているような思い込みがあったのかもしれません。

 ですが、そうであったとしても、作品が世に出れば、作品に求心力を持つほどのおもしろさを兼ね備えていなければ埋もれてしまいます。これにプロもアマチュアも関係ないということを実感できた貴重な年でした。

 

 とは言え、2017年の執筆活動は約3ヵ月ほどした後、やる気が著しく下がり、2019年現在まで執筆から離れてしまいました。これはネット投稿に取り組む段階からメンタルが不安定だったことが一番の原因です。作品の方向性に迷う以上に、人生の方向性に迷っていましたから。

 

 それでは本題である2017年の長編日記(考え)をまとめていきたいと思います。

 

1.名前の統一感

 これは特別な意図がないなら、名前の印象を統一した方が良いという考え方です。

 例えば、私の長編作品には「小夜鳴 千花」という人物がいますが、これを主要登場人物と置いて主人公を仮に「山田 太郎」だとすると、山田太郎には何らかの意味があるのかと読者の憶測を呼びます。

 名前は単純な記号ではなく、派手さや地味さのような尺度が存在し、統一感があるかどうかは意識しておきたいところだと思います。

 ただし、感覚的なところなので極端な場合を除いては難しく考える必要はないでしょう。

 

 また、こうした名前の印象を逆手にとったり、名前そのものに仕掛けをつくる作品も珍しくありません。こういった仕掛けは誰に教わったわけでもなく、往々にして作家の精神性が無意識に作品へ反映される良い例だと思います。

 

2.投稿先の選定

 小説の投稿と言うと、出版社を思い浮かべるのが一般的だと思いますが、実はアニメーション制作会社(系列の出版会社の場合もあり)が主宰していることもあります。

 制作会社のコンテストは特徴として、入賞と同時に出版化するだけでなく、アニメ化されるところです(厳密にはコンテストの基準次第)。有名どころで言うと、京都アニメーション(KAエスマ文庫)が主宰しているところですかね。

 ただし、そういったコンテストを主宰している制作会社の数は少なく、また出版社のように年に数回ではなく、1年に1回だけだったり、不定期だったり、1度開催してなくなってしまったり、制作会社の事情によって様々です。

 出版社投稿時代はこの事実に気付いた時期が終盤で、且つ締め切り後でもあったので、私は投稿するまで至りませんでした。もし、今、作品を投稿するのであれば、最初に考えたい投稿先です。

 

 投稿先のレーベルによって、作品の色が決まっていたりするので、何も考えずに大手出版社に投稿することは少し損をしているかもしれません。出版社からすれば良し悪し問わず、多くの作品が集まるに越したことはないという営利上の理由がありますからね。

 最近では、あまりジャンルが偏っていなかったり、幅広く作品を展開したいと思っている出版社もあるでしょうから、一度調べてみるのも良いかもしれません。

 

 そういった投稿先の選定を皆さんは考えているでしょうか?という話でした。

 

3.点と点をつなげる

 アイディアに悩んでいると、突然、思いつく瞬間がありますが、それはまさに点と点がつながって線になるという表現がぴったりという話です。延いては小説を執筆する行為そのものでもあります。

 究極的に言うと、小説執筆は個人のあらゆる経験をいかに応用できたかどうかなんじゃないかと思うところがあります。今までの経験を自分自身という枠を持ち、言語に換えて、伝える。そこをいかに突き詰められたか。

 他人の話を聴くときに、その人の言葉で話ができているかというところが意外と大きな要素になっていると思いませんか?さらに鋭い考察が伴っていたり、新規性の高い視点があったりすると、その話に自然と引き込まれていきます。

 これと小説は同じで、商業的な成功という意味では知名度が何より大切になってくると思うのですが、作品の質という意味でここは嘘をつけない点だと考えています。

 

 この視点に立つと、全ての経験を無駄だと言えなくなります。直感的に見ただけでは、表層的な面ばかりが目につき、新規性も乏しく感じるかもしれませんが、その経験から何を思い、どう物語に落とし込むかという試行錯誤は唯一無二です。

 小説という形に収めることに難儀なほど、新しい作品として成立する可能性を秘めていると言っても過言ではない気がします。

 

4.中盤の難しさ

 物語を序盤・中盤・終盤という3つに大きく分けたとき、中盤に何をするかというのはいつも難しいものです。

 本音を言うと、一番難しいのは序盤だと考えていますが、その分、「割り切る」という大鉈を振るう機会も多いので何とかなっています。一方、中盤は前後の論理の中で自由なことをする感覚で、作者の隠れた哲学が最も反映されやすい場所とも言えるでしょうか。

 それと中盤に悩むということは、物語のつくりが「終盤→序盤→中盤」というやり方を採用しているからであって、「序盤→中盤→終盤」というやり方ならそれほど苦労しないかもしれません。

 

 いずれにせよ、この中盤にどのような考え方を持っているのか気になるところです。

 

 

 

 ひとまず今回はこれで終わりです。2017年の長編小説執筆から得られた考え方のまとめは【2017年長編小説Part.2】に続きます。