不完全さを許容する

 しばらくこの形式では投稿しないと思っていたのですが、自分自身を戒める日記を書いておこうと思い立ちました。

 タイトルの意味は言わなくてもわかると思われますが、「不完全さを許容する」とは不完全であることを認めることで先に進めるという極めて重要な考え方です。

 私の場合、常日頃からより良い作品を執筆したいと思っていると、完璧主義に陥り、逆効果になることが珍しくありません。論理的に矛盾してはならない、登場人物は魅力的でなければならない…などは見るからに窮屈そうですよね。

 

バランス感覚

 不完全さを許容するとは、何も失敗だけの話ではなく、言い換えると「バランス感覚」の話にもなります。

 そもそも読者に提示する情報を過不足なく伝えることは不可能です。それなのに執筆していると今あるこの現象を、気持ちを、できるだけ伝えようとして全体のバランスが崩れることがあります。どこまで踏み込むか、説明するか。これは永遠の課題かもしれませんが、優れた作品ほど、こういったバランス感覚を作者は備えています。

 ワンピースの悪魔の実も、どういった物質で構成されているのか。そこには踏み込みませんし、読者にもあらかじめそういった世界という認識のもと進んでいきます。もしかしたら、今後そこに踏み込むかわかりませんが、この物語の表現したいこと、伝えたいことはここじゃないことを作者の尾田栄一郎さんは感覚的によく理解されていると思います。

 作品の前提知識を読者にあらかじめ理解してもらえると物語はうまくまとまります。そういうものだと決まっているものに対する許容量は比較的大きいので、それを利用すれば、フィクションの部分をうまい具合に作ることができるからです。

 

 1つのことにこだわることも良いことではあります。それがあるからこそ、緻密で説得力のある表現になる。ただ常に考えたいのは、物語の本質にどれだけ有益か、意味があるかです一日一文も言語学者になるためだったら、もっともっと語源に踏み込んで理解・解説するべきですが、語彙を増やす程度なら英単語を覚えるように割り切ってしまった方が良いと判断しています。

 色々なことを表現したくなる気持ちはよくわかります。あれも良い、これも良いと手を伸ばしたくなる。しかし、それでは逆に何も伝わらない。しかもこれは他人のことなら見えるけど、自分のことだと見落としてしまう。感覚的に難しくしないように執筆できる人を羨ましく思います。

 久しぶりに作品を真面目に考えていたら、蘇ってきた悪い癖。このままだと作品の完成はいつになることやら…。

 そうならないためにこの日記を戒めとして、頭に焼き付けておこうと思います。熱い。

 

 …というわけで、この日記は以上になります。最初から不完全であることを開き直るのではなく、完全であることを望みながら、結果的に不完全であることを許容する。最後の最後まで頭を抱えながら、作品を愛して頑張っていきましょう。