日常を哲学していく

 ここ最近、あまりに哲学がおもしろくて「一日一文」の終わりに哲学を絡めた日常の考察みたいな内容を投稿していました。

 もともと日常系のネタはあまり書くつもりもなかったのですが、哲学的解釈を与えると一気に簡明になって、文章として書き起こしたくなってしまったんですよね。物事を深く考え見つめるという意味では、哲学的解釈を与えることが非常に有効であることもわかり、「一日一文」ほどではないにせよ、月に一度くらいなら日課にしても良いのかもしれない。

 ただ、哲学と言っても哲学史や哲学者たちを紐解くことには価値を置いていなくて、シンプルに疑問を立てて考えてみることだけ。そこから自身なりの世界観を確立し、作品や日常に活かすことが目的です。学問としてなら既存の書籍やブログを読めば事足りますから。

「自分だったらこう見える」という内容を繰り返し書いていくと、自身の感性も明らかになりますし、これは間違いなく作品に活きるだろうと思います。自身の感受性が捉えたおぼろげな表象を、思考によって鮮明にして、言語で切り取ってみると、新たな発見もあるはず。

 というわけで、日常の気になる事柄に対して疑問を立て、考え、まとめて、タグ「哲学」にまとめたいと思います。もし、偶然にでも通りがかった人がいたら、ラジオの文字起こしのような感覚で読んでいただけると幸いです。

 

自分の型

 余談です。紆余曲折を経て小説に出逢い、創作を考え、自己とは何か?という問いを呼び寄せて、ここにきて「哲学」ですよ。ようやく腰を据えて取り組みたいと思えるものに囲まれ始めているのか、居場所を見つけつつあるのか。弱い自己から改めて人生を模索したときに真っ暗な洞窟の、しかも禍々しい雰囲気が漂う頭の中だったところに、わずかばかりの光明が射し込んでいるように見えます。本音を言うと、奇妙な感覚で少し足元が覚束ない。

 弱い自己に無自覚で社会的な自己で完結していれば、こんなことにもならなかったわけです。それは何度もこの機体(自分)の操作が難解すぎて放り出したくなったのですが、自分が自分らしく自覚的にいられる地点に近づけたのなら良かったのだろうと少しだけ肯定できました。いえ、本当にそれだけ作品も、自分自身も、これはもう全部投げ出すか、快楽主義で思考停止すれば良いんだっていう今際の際だったような気がするんですよね。