2021年を振り返る(2041文字)

 この日記は「2021年を振り返る」ということで、年の瀬に一年を振り返る内容です。今年は「一日一文」の終了前後で大きく変わりました。その点を総括しながら、来年に向けた反省点などを洗い出したいと思います。

 

一日一文の日課を終えたことが最大の変化

 まず、率直に二年半の一日一文は取り組んで良かったのか?というと、間違いなく良かったと思います。曲がりなりにも毎日のように考えて文章を書いていると、自然と磨かれる部分もあり、ブログを開始した当初の文章と見比べれば、明らかに成長できました。しかし、もっとより良い方法があったのではないかと考え始めると、必ずしも一日一文でなくとも良かったとは感じています。また、一日一文を終えた九月から三か月間は解放されたような気分だったことを考えると、一日一文が毎日の制約になっていたことも否定はできません。

 そして、その三か月の間に初めてのイラスト依頼を行っていたり、体験したことのないエンタメに触れたり、凝り固まりかねなかった思考や視野が柔らかく広がった感覚は多分にありました。新しいことに触れたとき、同じような毎日でも一つの自信に変わるようです。おそらく見方が変わるのでしょう。自分の居場所とやるべきことを再確認できます。

 昔は新しいことに触れるたびに居場所を移していたような感覚でしたから、移動するたびに自信を失うというか、リセットせざるを得なかったわけです。やはり消費型と積み重ね型の両面から人生を捉え、積み重ね型を仕事にすることが理想かもしれません。

 一日一文は簡易版として再開予定でしたが、思いの外、新しいことの方が楽しく成長できる実感を伴ってしまったせいで来年以降も未定です。ブログは継続しながらも、何か小さな事業でも始めるか、その準備に勤しみたい気持ちもあります。純粋に作品執筆する喜びに夢中になれない私。本当に向いていないことを実感しつつも、【人間の考察】のような内容を書くことは非常に好きです。

 そのため、いつかこうした活動の集大成として作品に結び付いたら良いのかなと考え始めています。作品を途切れることなく執筆し続け、コンテスト入賞を目指すような活動は少なくとも今の私には向いていないことを残念ながら確信してしまいました。ただ、価値を生み出す難しさを考えれば、人生一つ分をぶつけるほどでなければならないとは思うんですよね。突発的に思いついたアイディアだけで、自分らしさや多くの読者を魅了することは現実的ではありません。

 私が知りたいのはあなた自身。誰でもないあなたを知りたい。この言葉の重みを理解し、誰でもない私を強く実感できたときでも遅くはありません。でなければ、私の作品や哲学がいつまで経っても誰かの二番煎じに落ちぶれてしまいます。今のところ、活動の方針は悪くありません。ブログ開始当初に比べれば、自分のやるべきことは見えています。

 最後に反省点を挙げるとすれば、新たな楽しさに夢中になることも悪くはありませんが、もっと効率的に還元したいところです。ぶつ切りで生きるのではなく、全てを循環させ、相互作用を意識したい。「楽しいものに取り組んだら、次にこれを頑張る」という建設的なリズムを確立すること。欲求の解放が下手なのか、エリクサーを渋るような自分を自覚しています。

 

終わりに

「自分のやるべきことが見えている」と言った部分をもう少し具体的に書き留めておきます。私の目的を正しく言えば、作品を執筆することでもなく、自己哲学を広めたいわけでもなく、世の中から少しでも心に関する悩みが消えたら良いというところにあります。心の緊張を解し、人々を安心させたい。そのための物語であり、哲学です。

 このとき、物語は感情にアプローチする力に長けています。難しいことはわからなくとも、人物の気持ちに触れ、理解し、感情移入することで心の緊張を解せる期待が持てます。一方、哲学は思考にアプローチする力に長けていて、論理によって足場を固められるイメージです。

 そのどちらかだけではすぐに忘れてしまいますから、両面からアプローチする必要があると私は感じているのでしょう。現代ファンタジーに取り組む理由も同様です。おそらく正反対に見える二つの要素からアプローチをかけることが解決には効果的です。普段はなかなか難しい反対意見を許容することも、実は非常に重要なことがわかります。

 どんな悩みも、最終的には本人の力によって解決できなければ意味がありません。「一匹の魚を分け与えたら一時の飢えはしのげるかもしれないが、魚の釣り方を教えるまで根本的な解決にならない」ということわざもあります。私の作品や哲学は一時の飢えをしのぐだけかもしれません。もっと言えば、本人ではない以上、どれほど尽力しても届かないことは実感しています。しかし、一匹の魚を分け与え、釣り方まで教えようとする人がいる事実は希望になると思うのです。本人が希望を見出せれば、根本的な解決に大きく近づけます。