一日一文「混ぜ返す(まぜかえす)」Part.996

 第996回目は「混ぜ返す(まぜかえす)」から一文を考えてみたいと思います。

 

「混ぜ返す」

意味:[動サ五(四)]

   1.何回もひっくりかえしてまぜる。まぜっかえす。「御飯に酢を入れて―・す」

   2.わきから口出ししたり、ちゃかしたりして人の話を混乱させる。まぜっかえす。「茶々を入れて話を―・す」

出典元:小学館 デジタル大辞泉

 

【一日一文】

 自分の言いたいことを言うだけ言って、話を混ぜ返すことに罪の意識もないと、周囲から信頼を失い、誰とも関わりを持てなくなる。

 

【作品メモ】

「思考の足跡」から作品に活かせる点を広げて考えてみます。結論から言えば、受け手の入り口から段階的に物を見る癖をつけること。努力とは結果を出すために行う営為ですが、結果は多様な要素からなっているため、努力が一つの要素にしか注がれていない状態、すなわち自らボトルネックを生み出す懸念も自覚した方が良いのだろうと思います。

 そのボトルネックを見つけ出すために、受け手から始まる各種の段階、作品なら作品の最深部に至るまでの順序、障害、変化をイメージします。この辺のことを今まで考えているようで考えられていませんでした。自分の視点から考え過ぎて、受け手の想像力や理解が足りていなかったからです。

 

【思考の足跡】

 多くの業界で新規ユーザーを増やす試みが行われています。このとき、その業界の物事を初心者でも楽しんでもらう視点から考えることも悪くありませんが、実際にプレイして楽しむハードルは想像以上に高いと感じています。

 実際にプレイして楽しめたとしても、ライトなユーザーであれば、せいぜい一ヶ月、二カ月の暇な時間を潰せたのなら良いと考える人は多いはず。一ヶ月経ったら、別の物事に興味を示す。私のように熱しやすく冷めやすいタイプなら特に顕著です。しかし、業界にとってはもっと長く、できることなら永続的に楽しんでもらえる方がお金にもなります。ユーザーを増やすと同時に、末永く楽しんでもらうことが理想。

 そうした試みの議論は、初心者を手厚くもてなす方針に落ち着きやすい印象ですが、プレイして上達を目指す性質の物事では、どうしてもできないことがストレスになりかねず、どれだけ手厚くもてなしても限界があるというのが率直なところと思います。なので、プレイする楽しさ、上達する方法以上に“観戦する楽しさ”をいかに伝えられるかと考えます。観戦の方が気軽ゆえに長期的な継続も見込めるはず。

 この意味では、作品もどれだけ技術に優れていてもあまり伝わらないんですよね。読者にとっては作者の技術力の高さよりも、おもしろさの方が優先順位は高い。優先順位というか、入り口として機能しているものは「気軽なおもしろさ」なのでしょう。ここを十分に確保しなければ、次の段階(技術の発見など)に繋がらない。