一日一文「曳航(えいこう)」Part.995

 第995回目は「曳航(えいこう)」から一文を考えてみたいと思います。

 

「曳航」

意味[名](スル)船が他の船や荷物を引いて航行すること。「客船を埠頭(ふとう)まで曳航する」

出典元:小学館 デジタル大辞泉

 

【一日一文】

 海の上で遭難したが、海上保安庁に発見、保護され、最寄りの埠頭まで曳航してもらえた。

 

【作品メモ】

 現在、第一線を走り続けている作者の多くは一度も壁を感じたことがないと言わんばかりの力強さを感じますが、アマチュアからプロになった実感のようなものはあったのでしょうか。そういう人たちは皆、プロになることが通過点に過ぎなかった気がします。

 将棋の世界では、早くからプロになっている方がタイトルに絡む確率は高いという統計が出ています。プロになる年齢が若いほど、将来有望というわけです。これは他の分野においてもおおよそ同じように語れるのではないかと思います。創作においても、きっとプロになるべくしてなった人ばかり。10代から20代前半でコンテストに入賞し、あれよあれよと連載が決まり、気づいたら人気作家になっている。

 そう考えてしまうと、プロになることに躓いている時点で「才能がないかもしれない」と思うことは自然です。しかし、以前に才能や天才について書き留めた通り、認識の転換が起こるかどうかの差とも考えられます。早くから結果を残せる人は、最初に進もうと決めた道が偶然にも最良の道だったに過ぎず、逆に結果を残せない人は自分の歩いている道が間違っていることに気づいていないということ。

 自分の道が間違っていることに気づき、最良の道に至れば、同様に結果を残せるようになるという理屈です。おそらく何かがボトルネックになっているんですよね。無意識にでもアマチュアはアマチュアであろうとすることを心地良く感じている。プロになれる人はプロになることが当然と思っているかもしれません。たったこれだけの意識の差から取り返しのつかないボトルネックが生じているとしたら、根拠はなくとも、プロになる確信を持っているに越したことはありませんね。

 

【思考の足跡】

「曳航」を使用する頻度はかなり低いのですが、上記の意味を直接的に言い表すことは避けたい熟語だったので取り上げました。ちなみに「曳」は引っ張るという意味。

 さて、個人にレッスンやコーチングすることで収益を上げる事業の場合、レッスンやコーチング技術を伸ばせば伸ばすほど収益が少なくなるジレンマを抱えています。この構造にあるものは意外と多くて、例えば、医者も病気を早く治すほど患者の通院回数を減らすことになりますし、白熱電球からLED電球に切り替えることも同じ。

 だからと言って、いい加減な理由を付けて通院させるような人は滅多にいませんが、優れた指導者ほどお金が稼げないとは複雑な気分です。もちろん、一回や二回では到底教えきれないものなら、指導し続ける必要があります。ただ、それでも(指導なしの)個人的な時間の方が圧倒的に長いため、指導者はその時間に効率よく取り組む方法を教え、結果的に指導者は必要なくなるかもしれません。

 私はこの活動を通じた遠い一つの未来として、そうした文章に関わるレッスンを想像することもなくはないのですが、一般的な学習塾で国語を教えることと何が違うのか、他人に指導するとはどういうことかを考え始めると、少なくとも文章や言語に関しては継続的に教える必要性があるものとは言えず、文章の添削に絞ったもの、および文章の添削を通じて思考を学んでもらうと言ったことしか思いつきませんでした。

 もし、他人に指導することを物事の上達ではない面に価値を見出すことができるなら、継続的に捉えられるかもしれません。特に子供に対する指導はそうした面があります。しかし、やはり個人的な時間に価値を置いてしまうと、なかなか肯定することはできなくなってしまうか…。

 自らが価値を創るとき、技術を伸ばすことにジレンマを抱えていないものの方が簡明ではありますね。仕事だって早くに終わらせられる方が優秀なはずなのに、長々と取り組むことが肯定されてしまっては良くない。指導者のジレンマは考えさせられます。