一日一文「沛然(はいぜん)」Part.1000

 第1000回目は「沛然(はいぜん)」から一文を考えてみたいと思います。

 

「沛然」

意味[ト・タル][文][形動タリ]雨が勢いよく降るさま。「―として驟雨が来る」

出典元:小学館 デジタル大辞泉

 

【一日一文】

 沛然と降る雨の音に耳を澄ますと、胸の閊えも洗い流されていくように思えた。

 

【作品メモ】

 作品というより、ブログの改修メモ。まず、ブログの顔となるトップ画像はイラストを描ける人に依頼する方向で考えています。依頼にはリスクもあるので、情報収集をしながら慎重に決めるつもりです。依頼自体は初めて。

 しかし、どういったコンセプトで依頼するべきか。トップ画像の文言は小さく残してもらうとして、ブログの印象を柔らかくできるものか。長い文章は重苦しい印象を与えてしまいますからね。理想を言えば、トップ画像だけでなく、その都度、難解な内容には柔らかいイラストを挿したいところではあります。学生時代に「図解雑学」というシリーズを好んで読んでいた時期があったのですが、言語と視覚的なイメージの両方から理解できる感覚が心地良かったと記憶しています。

 その意味で言うと、ブログを理解するのもトップ画像次第と言っても過言ではないかもしれません。また、綺麗に整っている見た目から安心感を得ることができたら、私の活動を自然と肯定しやすくなるでしょう。往々にして個人ブログは煩雑な印象を与えますから、整理されているだけで好印象に繋がる気がします。

 それと依頼はお金を払えば何でも許されるわけもなく、お互いの要望を明確にして齟齬なく行うものですから、一度きりの取引だったとしても信用に繋げるつもりで臨みたいと思います。

 

【思考の足跡】

「約二年半の一日一文が終わった」と思い込んでいた昨日に、まさかまさかの1回分が足りないことが発覚し、今日もまた書くことになるとは…。「Part.974」がなかったため、「Part.975」から全て一つずつ戻して現在に至ります。1000回目を迎えたという勘違いは忘れてください。

 一応、今まで取り上げた単語に重複もなく、1000回も続けた割に人的ミスは少なったとささやかな喜びに浸っていたのですが、どうにも一日一文の数が合わないことがわかってしまいました。一日一文そのものの説明と画像引用元一覧の二つを加え、全体で1002になるはずが1001しかない。ちなみに上記の意味にある「驟雨」とは「にわか雨」のことです。

 さて、今日は子供の人格を早くに認め、尊重する意義から他人との関係性について考えます。

 少しずつ時代と乖離していく親世代が無理に子供を管理、育成せずとも、早くに子供自ら考え、選択させる習慣を身につけさせれば、時代に対応できずに悩む子は減ると思っています。特に今の時代は子供の方が優秀な場合も少なくありません。吸収して成長する速度が人生の中でも随一ですから。

 その点で親ができることと言えば、自らの管理や育成を過信しないことや本当に危ない場面で手を差し伸べたり、軌道修正することなのではと考えます。これは親子以外に先輩と後輩、上司と部下の関係にも言えることで、一人の人間に権力が集中するリスクは高く、万が一にでも間違った人間が権力を持ち、管理、育成することほど危ういものはありません。完璧な親はどこにもいませんから、早くに自分たちが子供にできることを弁え、説き、子供と補完的な関係を築く方がより良いかもしれません。

 親子の関係は少し特殊ですが、補完的な関係を築く必要性で言えば、普段から他人との関係では意識すべき点と思います。人間にとって大きなストレスになり得る他人も、補完的な関係を互いに認識できれば、この上なく居心地の良い環境になります。言い換えれば、一番のストレスは競合的な関係から生じる。

 自分さえ良ければの精神は競合的な関係を数多く築きますから、システムの中で権力を持ったり、お金で動かせることはあっても、それ以上のことはできなくなります。やはりどんなに優秀な人間でも完璧ではない。人間の不完全さが何より根強いことを認識できると、誰とどのような補完関係に至るか、補完関係に至るために自分を理解できるかといった重要な問いが立ちます。どちらか一方でも利己的だったり、自分自身の変化、成長や衰えの理解なくして、他人とより良い関係を築くことはできないはず